『ご先祖様との縁を繋ぐ縁ディングノート』

目次

(1)縁(エン)ディングノートから家系図作成

(2)縁(エン)ディングノートからの軍歴作成

 

日頃から、当協会は、縁ディングノートは「縁を繋ぐノート」と啓蒙していますが、
何故、筆者がそう考えるのかについて今日はつらつらと書いてみたいと思います。

筆者自身の最近の感動した出来事も含め皆さんに「縁(エン)ディングノート」のすばらしさが少しでも伝わればと思います。


(1)縁(エン)ディンングノートから家系図作成

 筆者が監修した縁(エン)ディングノートには家系図作成のページがあります。
このページは特に大切にしていますが、終活に興味がない男性や終活はまだ早すぎる未成年の方が興味を持つページでもあります。
「ご先祖様のお名前や出身地・職業などわかっている人は書いていきましょう。」
と声掛けし、書いてもらうのですが、せいぜい書けるのは曽祖父母くらいまで。

最近の若い人は、祖父母の名前もあやふやな人がいます(^-^;
そのため、このページを書いてもらう前に必ずしているお話を紹介します。


「ご先祖様は10代遡ると1024人いらっしゃいます。
10代前の日本人の職業は一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めています。
では、江戸時代、農民はどのような暮らしだったでしょう。

日照りが続くと穀物が収穫できず、飢え死にしたかもしれません。疫病が流行っても今のように抗生物質もなく、病で亡くなる人も多かったでしょう。
台風や地震で家屋が倒壊し下敷きになって亡くなる人も今より多くいたと思います。

明治に入ると日清・日露戦争があり、昭和の大東亜戦争(太平洋戦争)では310万もの人が亡くなったとされています。
それら全てを生き残り、誰一人欠けることなく命を繋いでくださったから皆さんは今ここに生きているんです。」
この話しをしてから、家系図作成に入ると名前のわからないご先祖様はどうやって調べたらいいかなどの質問を多く受けます。
戸籍を取り寄せることで江戸末期くらいまでは調べられると説明すると、戸籍を取り寄せたいので手伝ってほしいという依頼を受けることもあります。

戸籍にとどまらず、家系図作成の会社に依頼をして立派な巻物の家系図を作成された人もいます。

また、A3サイズの紙にエクセルで作成した家系図を額に入れて飾るといった高校生もいました。

家系図を見ながら、家族でご先祖様の話をしているうちにルーツを巡る旅を企画し、曽祖父が住んでいた岩手に旅行したと報告をくれた人もいます。

今まで、墓参りを嫌がっていた孫が、墓参りをしたいといってきて驚いたという報告もありました。

いずれにしても縁(エン)ディングノートの家系図のページがきっかけで、家族の縁が深まったと喜ばれました。

(2)縁(エン)ディングノート作成からの軍歴作成

これは、最近の筆者自身の体験です。

筆者の主人の父は主人が10歳の時にガンで亡くなりました。
主人は父のことはほとんど覚えていないというのですが、母子家庭だけど恩給が出て助かったと母が話していたというので、「あなたのお父さんは軍人だったの?」と聞くと、なんかそんなことを言っていた気がすると家系図のページを見ながら主人が呟きました。

そこで、軍歴調査に強い知人の行政書士に相談すると調べてくれるというので依頼しました。

3カ月ほど調査に時間を要しましたが、主人の父は下士官の最上階級の曹長であったことや20歳で入軍し、満州の部隊に配属→何度か転属しながらソ連~満州の国境任務→下士官の教育機関→再び国境任務→戦車部隊→日本の千島列島に配属→終戦を27歳で迎えたことが分かりました。

また、何故か射撃の腕がよかったらしく、下士官の教育機関で戦車の操縦を習い、戦車部隊に配属となったおかげ元所属していた部隊がフィリピン戦や沖縄戦でほぼ全滅しているのに助かっていたことや千島でもソ連に抑留されるところを帯広待機となったおかげで免れたことなどもわかりました。

まさに、奇跡的に戦渦を生き抜いて主人に命が繋がれていました。

縁(エン)ディングノートから話が広がり、亡き父の生き抜いてきた軌跡を知ることができた実例です。

軍歴軍属調査書は製本してもらい、主人の両親の位牌と共に供えさせてもらいましたが、いい供養となりました。

これも、縁(エン)ディングノートのなせる業、まさに無限の力を感じた瞬間です。


いかがでしたか?
皆さんも、家系図のページは是非、大切な人といろんな話をしながら書いてみてください。
ご先祖様が喜んでくださること間違いなしです。