私が自筆の「縁ディングノート」にこだわるワケ

今は令和ですが…
私が過ごした平成の時代は、

大学卒業、バブル崩壊
母の癌、そして母の死
結婚、出産

良いことも悪いこともたくさんありました。
すべてが経験となり、今の「私」があります。

今日は、私が自筆「縁ディングノート」にこだわるワケをお話したいと思います。
それは
母からの手紙

平成2年に大学を卒業し、証券会社へ入社しました。
入社と同時に、慣れない東京に慣れない新人研修に同期とのホテル暮らし、楽しい時間もあるけれど、毎日の生活が大変なそんな時期に母から一通の手紙が届きました。

その時は、初めて母からもらった手紙が、母からの最後の手紙になるなんて夢にも思いませんでした。

それから半年後
母が癌と診断され余命宣告を受けたのです。
その当時は、癌だとわかっても告知や余命宣告はしない時代でした。
でも、勘のいい母はきっと気がついていたと思います。

もちろん、その当時はエンディングノートなんてありませんでした。

余命宣告を受けた後、2年間の闘病生活となり母が52歳のときにこの世を去りました。

母が亡くなったことを全く受け入れない心のまま葬儀が終わり、火葬場で焼かれた遺骨を持った時に、その遺骨の温かさが、母のぬくもりのように感じたこと今でも忘れられません。

母が亡くなってから1ヶ月後に結婚
主人との新婚旅行先で初めて大泣きをし、その時にやっと母の死を受け入れることができたのかもしれません。

それでも、母の遺影を見ることがつらく、もちろん母からの手紙も見ることが長い間できませんでした。

それから
出産や子育て
介護の世界で経験を積む内に

ある日、母の遺影を見ることができるようになりました。
その遺影の中に入れてあった母からの手紙を読み返した時に、いつのまにか泣くことを忘れていた私…、その手紙を見たときに、泣くことができたのです。

押しつぶしていた感情
母への想い
そして母からもらった愛情
いろんなことを思い出した瞬間でした。

母の字は何年経っても覚えています。
そして、手紙に何の気なしに書かれている母の口癖、
もう母の声は思い出せないけど母の字や口癖は思い出せるんですね。

エンディングノートがなかった時代
自筆で書かれた手紙は私の大事な宝物です。

携帯のアプリやパソコンで書くエンディングノートもありますが、
それでも、私は自筆でかく縁ディングノートの大切さを自分が感じた経験からお伝えをしたいと思っています。

50歳を過ぎ、母が亡くなった年齢を超えました。
息子も結婚をし、孫も生まれました。
でも、母になった私、おばあちゃんになった私でも、母の前ではいつまでも子どもなんです。

縁ディングノートは書かないより絶対書いた方がいい
そして
大切な人への最後のメッセージは自筆で書いて欲しい…

私が縁ディングノートを自筆で書くワケ
それは大切な形見の母からの手紙に込められています。

(文責 協会理事 小笹美和)