誰と書く?縁ディングノート① ~ひとりで書くエンディングノート~
著者がエンディングノートを初めて書いたのは2011年です。
最愛の父が亡くなったのが2010年1月、翌年の2011年3月11日に東日本大震災が起こり、多くの方が亡くなりました。その18日後、私は妹を亡くしました。
そのころに書店でみつけたのが、KOKUYOさんのオレンジ色のエンディングノートでした。
人は「死」を目の前にしたら、何を思うのだろうという思いで書き始めたのがきっかけでした。当時は大切な家族を立て続けに亡くし、なんとか這い上がろうと思って掴んだエンディングノート、私にとってはグリーフケアだったのだと今になって思います。
1、ひとりで書くエンディングノート
エンディングノートを、今から11年前、わずか31歳で書き始めたのですが、あっという間にその魅力にはまりました。
当時、2歳と0歳の子どもを抱え、子育て真っ只中、証券会社に勤務していましたので、朝は6時台に子どもと家を出て、帰宅は19時半。怒涛の平日。土日になれば体力が有り余る子どもをワンオペで面倒みながらの溜まった家事をこなす・・・当時髪を振り乱して、わが身を振り返る余裕もなく生きていた中のエンディングノートは「自分を顧みる」ツールとして大変有効でした。
2,葬儀に関すること
まずは自分の葬儀をイメージすることをおすすめします。
自分の死を聞いて駆けつけてくれる人はどのくらいいるのだろうか。自分の今の立ち振る舞いは葬儀の時にかけつけたい人に値するのだろうか…
こんな最期で自分は満足か、やり残したことはないか?やり残している理由は?
伝えたいことは伝えられているだろうか、自分がいなくなって大切な人は何が困るだろうか?などなど・・・
自分が「死」を突きつけられた時への思いを知ることは、自分でも気づかなかった思いに気づくことにつながります。
3,入棺体験と縁ディングノート
自分のラストセレモニーである葬儀。
35歳の時に、入棺体験をし人生観が変わりました。現在では運営側として携わっている「冥土カフェ」との出会いです。
父の葬儀は著者は参列できなかったのですが、地元長野県下に800軒ちかいお客様がいた父、地域活性に携わった父の葬儀は500名を超える方が参列されました。
翌年の妹の葬儀は、家族を中心に、身近な人で見送ろうと、お寺を借りて葬儀を行いました。妹の葬儀は故人に寄り添い、温かい葬儀となり、立て続けに葬儀を経験した身内からは妹の葬儀がよかった、自分もそんな葬儀がしたいとのお声をたくさんいただきました。
そんな時、当時の同僚から案内をもらったのが「冥土カフェ」でした。
臨死体験をすると人生が変わると聞いてはいましたが、病気をする、事故に遭うではなく、自分の死を体験できる「入棺体験」イメージだけだった葬儀の一部を体験することにより、自分のラストのイメージがよりクリアになりました。
また、入る前と入った後の気持ちが全く違ったこと。2回入棺体験はしていますが全く違う気持ちになったこと。自分の死、自分がどう人生を生き切りたいのかがクリアになり、人生がさらに加速する経験をしました。
当初はなかなか書けなかった縁ディングノートも今ではとてもスムーズに書くことができるようになったのも、痛い思いも苦しい思いもせずに「死を体感する経験」ができたからだと思っています。
著者は、そこから、転職し、紆余曲折はありましたが、年収も当時の5倍になりました。自分が望む自分に近づけているのは、縁ディングノートを毎年書いているからこそだと思っています。
2、なぜ、縁ディングノートなのか。
これは、「死」を意識すると人は「今を生きる」ことを考えるからです。
”死ぬまでにする10のこと”をセミナー中にお話することがありますが、最初は盛りだくさんだったリストも今はほとんど書くことがありません。「死ぬまで大事にとっておかないでどんどん実行する」と決め行動しているからです。
終活・相続のために書くイメージが強いエンディングノート、もちろんその効果もありますが若いからこそ取り組んでほしいのは、現代人はとにかく忙しい、自分と向き合う時間を作れずにいます。スマホなんていうツールがあるために、24時間365日休みなく、情報が行きかっています。
本来であれば関わらなくていい、人、組織、もの、こととも現代においても、四六時中生活の中で、関わりを常に求められています。
必要なもの、大切なものが埋もれてしまうほど、自分の周りには必要のないものの多さに縁ディングノートは気づかせてくれることでしょう。
今年も残すところわずかとなりました。
今こそ、自分を顧みるツールとしてエンディングノートを活用してみて欲しいと思います。
(文責 理事 髙橋美春)